虚構太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

10/6 どこへ

東宝系の映画館でやっている往年の名作をリバイバル上映するイベント、午前10時の映画祭で『8 1/2』がやっていて、見に行きたいと思っていたが、起床に失敗。正確には目覚ましで8時くらいに起きたんだけど、40分くらい二度寝して間に合わない時間に。そもそも行ける範囲のどの映画館も朝9時スタートとかで早すぎる。そこで不貞腐れて、三度寝し起きると今度は12時を回っている。

午後に起きるともう何もやる気は起きない。消化試合だという認識になり、飯も食わずにベッドでごろごろしていた。ただ15時ごろスタートの講義は初回だったので受けたが、それも最初はあぐらをかいて受けていたがめんどくさくなってきて途中でベッドで寝転がり半分意識を空へ飛ばしていた。

そして、夕方になり流石に何か口に入れないとと思って冷食のチャーハンを食べると、また眠くなってきて寝た。

怠惰なときばっかり切り抜いて日記にしているから毎日こうだと勘違いされそうだけど、ときには活動してるよ。

今日はおそらく気温が急に低くなったのと雨が降っていたのが悪かったんだと思う。環境の変化は負担が大きい。無理をして抗ってもどこかで歪みはくるだろうし、そういう意味で今日はリスクヘッジとも取れる。

本当はもっと、有意義そうなこと、真っ当なこと、世に出して恥ずかしくないことを書きたいものだが、そういう意気込みで行くと100字で止まってしまう。自分のしょうもない人生の切り抜きや泣き言ならいくらでも書けるけど。こんな醜態を晒すくらいなら書かないほうが良さそうなものだが、それすらもやめてしまうと本当に外へ出る契機を失ってしまう気がする。何よりこうやってくだらない文章をたくさん書いてるとたまにポロッといい感じのことが現れたりする。少なくとも、パンを加えた美少女と道の角でぶつかるよりはいい確率で。

繰り返しになったり、ダサかったりするかもしれないが、それでも何か汲み取ろうとしていくことがどこかへ繋がるんではなかろうか。

今のところ何も生じていないしその兆しもそんなにない。はてブロの無数にあるメンヘラ?ブログの一つとして漂っているだけ。いやそれでも近場の人から反応はもらってはいるから、あんまり悲観的なことを言うのは申し訳ないか。

ただ、一応断っておくと「何者」になるとか、文章で食っていくとか、目立っていくとかそういう直接的な意味はあまりない。そういった「何か」になろうとする空虚性は、ここ数年で身をもって知ったつもりなので。一方でそういったものの残骸として、「どこか」という言葉が出ている可能性は否めない。

やっぱり自分をなくしていきたい。今学ぼうとする一つの理由にはそれがある。知ることはそれまでの自分を壊しうる。またいくら知ってもそれが真実とは限らないし、それを判断する超越的なものは今のところ存在しえない。結局は知は人が作り出し、管理するものに過ぎない。しかし時を超えて膨大な人が関わり、超越的にも思われる規模や内容になっている。そこに少しでも参加し、そこへ溶けてしまいたい。