虚構太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

5/18

学会発表の準備をしないといけないと思いつつ、とりあえず外出してみた。なんとなく神保町に訪れてみると、外が暑すぎて何軒か店を回っただけで体力が尽きた。だけど、気づけば新宿に向かう電車に乗り込んでいる。

別に新宿に行ってもやることないだろうなと思ったら、案の定そうで、一応ブックファーストに行って本を眺めて、疲れたので帰宅した。帰宅後はペルソナ5をやって今に至る。ゼルダは体力を使うから置いてる。

神保町で、カンディンスキーモディリアーニの画集をパラ見したけどとっても良かった。どちらも過去の展覧会の目録で、8、90年代と日本に一番お金がある頃の展覧会だったからか、豪華な内容だった。

カンディンスキーの色づかいは見ていて楽しい。おもちゃ箱をひっくり返したかのような感じ。モディリアーニ肖像画は、異様な迫力がある。

あとちまちまレヴィナスの「全体性と無限」を読んでる。他者は絶対的な<他>であり、私から隔絶している。「全体性」は、おそらく世界大戦を踏まえていて、国家総動員という、人民全てを巻き込む、国民国家というまとまりの幻想を、この「全体性」を否定するところから本書始まっている。

全体性の暴力は、現在だと画一的な倫理を押し通そうとする風潮に宿っていそうだなと思うがどうだろう。差別やマイノリティの問題に対しての扱いが「同じ人間である」と、集合に入れフラットにしていくのではなく、目の前の一人が巨大なブラックボックスとしてあることの困難と、そこでのお互いの交渉がまず現にあるということを認識する必要がありそうだ。制度的な問題はマクロな話で、それでは立ち行かなくなってしまうとはえ、そこの倫理観は持っていないといけない。

単に隔絶しているというだけでは、独我論になってしまうので、超越というある意味抜け穴的なものを提示しているが、今後どう扱うかは分からない。

存在と無」は難しすぎかつ長すぎなので、断念した。