虚構太郎

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6/1 HELLl-SEE ツアー

日中諸々を倒したり、倒さなかったりして、syrup16gのライブへ向かった。

今回は、HELL-SEEリリース20周年記念のツアーで、HELL-SEE全曲を再現するライブだった。

そんな記念のツアーで、さらにフロントマンの五十嵐氏が50歳になったということで、ライブはセレモニーな雰囲気に。ドラマの中畑氏はMCで「ライブというより、寄り合い(笑)」みたいなことを言っていた。最初はそんな雰囲気にほだされ、思い出の曲たちに耳を傾けていた。

HELL-SEEはやはり自分にとっても思い入れのあるアルバムであり、どう聞いても過去のイメージ、記憶とは切っても離せない。目の前の演奏を聞くというよりは、思い出を聴いている感じだった。

観客にも、そして演者であるバンドメンバーにもそんな雰囲気があり、終始そのままかと思いきや、アルバム後半の『Everseen』から流れが変わってきて、『シーツ』や最後の曲の『パレード』なんかは、真に迫った素晴らしい演奏だった。

アンコール一回目は、去年リリースされた『Les Mise Blue』からの3曲で、最後にやった『うつして』が良かった。

正直、この新譜をどう聞いていいか分からず、というかあんまり良くなかったら嫌だなとか思っちゃってあまり聞けていなかったが、今回初めてピンときた気がする。改めてアルバムをきいて、『I Will Come』、『明かりを灯せ』、『うつして』、『Maybe Understand』などが今のところいいと思った。

アンコール2回目は、『落堕』、『真空』と盛り上げ系のやつが続き、『Reborn』で締め括った。

最初ベースの音がボワボワして、やばかったのを除けば、非常に満足度の高いライブだった。基本的にはアルバム再現系のライブは、やはりお祭りみたいなものだとは思うし、そんな感じで楽しんでいたが、最後の3曲は非常に引き込まれた。新譜の曲も聞けて良かった。

syrup16gというバンドは、自分にとってただのバンド以上の存在であって、それは当時の聞いていた自分が高校生で色々と思うことあった時期だったということがやはりある。また、一方でバンド側から見たときも、(僕が聞いていた)HELL-SEEやその頃のアルバムというのは、キャリアの一進一退をかけた力が入ったものである、という側面がある。

何が言いたいかというと、僕は今年で25さいになって、バンドも一度解散を経て再結成し、50さいにさしかかり、お互いそこそこ変わってしまった中で、あの頃の残像から先に進めるのかということを。

新譜は、やはりHELL-SEEとかと比べると、憑き物が落ちたような、余裕が見えたアルバムになっているし、僕の好みも変容しているのは確かだ。

長々と言ってきたが、こういう心配は、今回のライブが終わってみると消えていた。なんだかんだで、いい曲だなという感じで、納得できてしまった。

こちらも、少し憑き物がおちたのかもしれない。

明日は朝早いし、早めに寝る。台本6割くらいしかできてないけど。