いくつかの円

日々のことをなるべくまめに

6/18

仕事の進捗が微妙なので、残業して疲れ切った。また残業しながら今の学者がアメリカ、というかトランプについてひたすら批判し続ける番組を聞いていたのもあって余計に精神を削られた。ただ、多少精神を磨耗させるようなものの方が、結果的に集中が逸れにくいという、つまり毒にも薬にもならないものでは飽きてしまうという悲しき性があって、そんな訳のわからない状態で働いていたのかもしれない。

今年の6月は、なんだかんだで涼しくて助かる。夜は窓を開けて雨の音を聞きながら、パンツ一枚で心地よく過ごせる。ずっとこれくらいの気候だといいんだけど。

とにかく、大きな問題に対する自分の無力さ。そもそも、それに比べれば些細な自分の気分すら、保つのは大変だというのに。

まずもって自分の人生すら分からない、そこでその責任を政治に身を投ずるという選択肢。投票には行ったほうがいい、そういった道徳的な押し付けが、そもそも。目の前の人に優しくするけど、例えば大抵の近所を歩いている人の顔見ると、大体好きじゃない。自分が好かないやつしかいない街に住んでる。見ただけで考える前にそう思ってしまうから仕方ない。それでこれまでかなり損してるけど自分の屈折した人間性には慣れていて、今更受け入れている。そんな人間が民主主義どうこうというのも変な話だ。

多様性といっても、どこかで嫌なやつ、変態な性癖をもったやつ、ぱっと見でキモいやつというのは相手にされないし、弾いている。そしてそれは自分もどこかではそうなのである。

だからといって、全く認めないというのは馬鹿げている。ただ、理念としては賛同できても、実際のところ皆自分のことを考えたらどこかで誰かを弾かずにはいられない、ただそのことを分かりつつ、多少はその否定性を含んで発言してほしいという話。これも顔のない、嫌な人間のイメージで語っている。

 

今まで何人かいた、本当にどうしようもない、社会でやっていけなさそうな人と話したときに、そもそも対話というのが成り立たない次元があるのではと思わざるをえなかった。具体的に言うことはできないけど、例えば、自分が何を欲し、それに対してどうするか、ということがそもそも考えられないような人もいる。それは何も会話ができないという訳ではないが、話していくとそう結論づけるしかない。その人は困ったことになっているのに、本人はそのことに、唖然とするほどの鈍感さで、気付いておらずどうしたものかとなったが、そもそもそこまでの義理も僕はその人に感じていなかったから深入りすることはない。最終的に助けようと思ったら何ができるのだろう。

対話というのは、結局自分と同じ土台を持った人間としか成り立たないのではないか?

ただ同時に希望というのは、そんな難しいことを考えずに、ただ友達をやる、優しくするで、最終的に破滅を止めるストッパーになりえる、というところにあるのかもしれない。

 

また、そもそも自分も厄介な人間で、大体の人間を信用できず、会社でもそのことを痛感するが、コミュニケーション自体あまり取りたくないと感じる。こっちがどこか欠けがあると思った人としか話ができると思えない。それでも生きるというのは縛りプレイのようなものとして楽しんでいる。どんな結末になるかはそうぞうもできないししたくもない。人ってそういうものなんだろう。

 

6/16 回鍋肉

回鍋肉を作った。

これは実家で出たとき嬉しかったので、大学時代からよく作ってた。

いきなり脱線すると、うちは二世帯住宅で平日親は仕事に行くので、晩御飯は祖母が作ってくれた。祖母は、おっちょこちょいでお世辞にも料理が美味いといえず、よくキッチンからあらまと聞こえたら、失敗した料理が出てくる。そんな中でも回鍋肉はクックドゥーの素が完璧なので、当たりなのである。

そういうわけで、最初はクックドゥーで作っていたが、もっと料理してる感が欲しいと思って調べたら、甜麺醤という中華風味噌を知った。でこれと豆板醤を使えば、回鍋肉になるとのことだ。すると、これで適当にやってみてもなかなかに美味い。そこから自炊もなかなか面白いとなった。

回鍋肉もレシピは色々あるということに最近冷静になって見たら気づいたが、長らく野菜を先に炒めて、分けておき、肉とタレを炒めたのちに再投入という方式でやっていた。これは、野菜のシャキシャキ感はいいんだけど、出来立てでは味が染みてなく、むしろ余ったやつを冷蔵庫において、次の日食べた方が味が染みて美味かったりする。とあるとき、そんな話を人にしたらそもそも出来立てで味を染みるようにすればいいのではと言われ、コロンブスの卵になった。

そんでもって、今回は改めて調査し、キャベツをあらかじめ3分ほどレンジに入れ、肉とタレに合わせるという方向でやって見た。結果として、キャベツはチンするとしんなりするので、前よりも味が染み上手くなった。

だが、全く別のミスとして、キャベツをチンすることに気を取られて他のピーマン、ネギを加熱し忘れたために炒めすぎた肉は硬くなってしまった。

総合的に見ると、キャベツはチンすることでシャキシャキ感は犠牲になるが、味は染みやすくなる。他の野菜はあらかじめ炒めた方がいい。あと、にんにくはやっぱりチューブよりも生のニンニクを刻んで入れたほうが香りいい気がする。

 

 

6/16

ハンターハンター38巻を読んだ。

暗黒大陸の前菜だと思われた、王位継承戦だが、完全に泥沼状態になってきた。まず、簡単にあらすじを紹介すると、暗黒大陸という未知の大陸があり、ここには未知の獣や病気、古代文明などが存在し、非常に危険なため渡航が禁止されていた。それをビヨンドネテロという男が、その禁忌を破ろうとする。そこで、カキン王国という新興国と手を組み、巨大な船で暗黒大陸への移住計画をスタートする。それをそのまま見過ごすわけにもいかないということで、カキンの王子たちの護衛という形で、クラピカたちハンターも乗船する。

そこで、船で暗黒大陸へただ行くと思いきや、巨大な船の中で14人の王子王女たちの王の座をかけたバトルロワイヤルが急に始まる。それも15人それぞれ能力をもち、さらに彼らには護衛が何人もいて、この時点で100人近くの登場人物が、入り乱れ工作を図るということがはじまる。それで、セリフまみれ、毎話知らない人間が出てくると、あまりに不親切だと思っていた。だがここにきて、クラピカから幻影旅団に焦点があたり、一部王子と裏で繋がるギャング組織が出てきて、王子王女の問題が何も片付いていない中で、さらに風呂敷を広げだした。そもそも、暗黒大陸渡る前にジンとパリストンの話があったり、ビヨンドネテロは何をしてるか、暗黒大陸とは何かみたいなことも気になるのに、事がどんどん広がるが、刊行ペースは2、3年に一巻と何を考えているのやら。

そして、この間買った38巻読んでなるほどと思って本棚を見たら、既に38巻が置いてあって、それが一番驚愕だった。

6/11

仕事中、iPhoneの読み上げ機能で、Kindle読み上げが捗る。アクションボタンに読み上げ開始を割り当てることができ、またページも勝手にめくってくれるのでKindle本をラジオ代わりにできる。画面を消すとページが捲られないのでずっと画面付けっぱで放置しているからそこそこ充電は食う。

今日は、心の傷がうずいてあまり集中できなかった。アイコスを忘れたのでタバコも吸えず。そうなると食欲がなぜか増強して、夕方にモスに行った。モスバーガーとポテトLにした。飲み物を頼まなかったら、メインができる前に席にわざわざ水を届けてくれて、有難いけど無料のものにそこまで労力かけなくていいのに...。出世のために頑張るとか、馴染みだからとかなら理解できる。でも別にこのサービスはそういうわけではなさそう。特別に気遣い力が高い人が現れた、他の人はなかなか出来ないで済んだらいい。でもこういったことで全てのハードルが上がったら嫌だなと思った。

自分のところで言うと、何も言わなくても、残業してこれくらいやってくれるよね、とか。この辺は欧米のスーパーなどのただお金をもらうために嫌々働いていますという雰囲気の方が逆に安心する。ただ態度は悪い。

知り合いのおじさんが、Hに全力出さない、工夫がない相手だと、そんなものかよと叱るといっていた。これは向上心。向上心でもなく、これくらいやって当然みたいな考え方は、息苦しい。

 

ただAIに頼りすぎて、怠惰が加速している気がする。仕事するより、ブログ書いたり、本読んでる方が、よっぽど頭使っている。多分、こんな考えないのは、自分もそして仕事自体も長くはもたない気がするので、本格的にネクストライフを考えないとなと思っている。

6/10 エロティシズムその1

バタイユのエロティシズムを読み始めた。

哲学における重要な二項対立、無限性と有限性、これは神と人、精神と身体、など様々なものに重ねられるが、これがエロティシズムでは、連続性と非連続性と表現されている。

非連続性とは、つまり個としているということ、そして連続性は、エヴァンゲリオンのみながLCLに溶けた人類補完計画後の世界でイメージした。

他から切り離された精神をもつ孤独な個人の欲望として、そんな境界のない世界に溶ける。そういった前提のもと、ただあくまで表上唯物的に、連続性を感じる体験がある。

 

個人的な体験として、地元の祭りや学校のイベントがどうにも苦手だった。集団の中に溶けてこの祭りの一体となるというのがどうも恥ずかしい。

向こう側で祭りになっている人々は猥雑だけど、一方でどうしても惹かれることはある。

 

ただ、バタイユの想定では、こういった祭りではなく、例えば一対一の恋愛、または祭りというよりはミサのような儀式などもっと厳粛な状況において、喚起されるところに連続性がある。つまり、あくまで個が強調される中での話なのではないか。

例えば、厳粛な儀式において、参列する私たちは、みな黙り、一人一人その儀式に直面する。そこでは孤独に連続性、何か深遠なものに触れる体験をする。恋愛でも、その相手に直面するは自分一人だ。

1対1で対面するということ、そこには何らかしらの必然性や宿命みたいなものがのる。その重みが何かしら強い体験になるのかもしれない。

一方、祭りというのは、対面する私の内的な比重は必然的に軽くなる。つまり、私個人がどう思うかではなく、集団のノリに合わせなくてはいけないから。

 

自分個人は、そういった個人がはなから重要ではない集団に入れないこと、そこでの対立が主だっていた。そしてそれを超えるのはおそらく厳粛な経験だと思っていた、のかもしれない。

 

 

6/8

アメリカンビューティについて

広告代理店で13年勤めるレスターバーナムは、会社の都合でリストラの候補になる。そして、家庭はほぼ崩壊状態。妻のキャロラインとは何年もセックスレスで、娘のジェーンにも口を聞こうとすれば、今更父親ずらするなと言う。そんな折、娘のチアリーディングを夫婦は見に行ったとき、レスターは嫌々だったのに、娘の友達のアンジェラを見て、メロメロ、男が復活し、そこからレスターは変わっていく。

というのがあらすじで、レスターの変化により、ギリギリ体裁だけ保っていた家族は、崩壊していく。こうなったとき、家族という結びつきは寧ろ縛りになって、ただ離れればいいように思えても、なかなかそうはいかないために歪な行為に走り出す状態に。

 

バーナムは娘の友達に恋し、二人が遊んでいるときに部屋の前で会話盗み聞きまでして、身体を鍛えれば寝てもいいかも、ということを聞きつけて身体を鍛え出す。そして、また隣人の娘と同級生の不審人物リッキーから大麻をもらう、そして学生時代にやっていたハンバーガー屋のバイトを始める。

そして最後にアンジェラを抱く寸前までいったとき、アンジェラが処女だと知り、彼女に上着を羽織らせる。

 

この中年に息の詰まる現状の中で、男として再生することで息を吹き返した。そしてまるでいきがった若者のように大麻を吸い、ハンバーガー屋でバイトし、憧れだった車を買う。

ここでは、本当に彼は若者に戻っているようだった。懐かしさを感じるための距離感を失ってしまっている。ノスタルジーに浸ると言うのは、今とその過去に決定的な断絶があるからこそ成り立つ。

 

そして最後、ジェーンの小さい頃家族で撮った幸せそうな写真を眺め、思い出に浸る。そこで過去との距離を離しているが、それは不可能な距離ではないように思えたようだ。そしてそうしていると隣の家のリッキーの父親に銃殺される。

文字通りのハッピーエンドなんだろう。

6/7

友達に花束みたいな恋をしたを見せられた。

大学生の男女が付き合い、大学卒業後、段々と距離感が離れて別れるというラブストーリー。

出会いは、たまたま二人終電を逃したときに、その場にいた人間たちで飲みに行って、とても趣味が合うことに気づく。そこで、二人で遊ぶようになり、そして割とすぐに付き合うことに。

そこから、二人で映画を見たり、漫画を読んだり、散歩をしたりと時を過ごし、そして同棲し始める。ただ、その辺りから、学生時代の終わりが見えてくる。そして、最初は就職なんてしなくていい、好きなことをして生きていこうというノリだったのが、色々あって麦くんが、先に正社員として働き出す。すると彼は社会人として頑張るということに、フィットしていく。そこから、二人は噛み合わなくなり、結果として、別れるという流れ。

なんてことはない話ではある。

ただ、お互い噛み合わなくなることがあったときに、それに対し、ただ心が離れていくというのは、フィクションなのに、なんてつまらない反応なんだろうとは思った。少しくらい、お互いが、この人を特別な人だと思っているのに、ここが受け入れられない、本当にいれるのだろうかみたいな葛藤があまりに希薄で、ドラマとして薄味のような。

若者の恋愛なんて、結局イメージ先行で、ちょっとでもズレれば冷めてしまう、もしくは惰性で続くだけ、そんなものだろうという考えでいったら、そもそもフィクションなんて見る必要も、何なら恋愛する必要すらないように思ってしまう。

勘違いや妄想かもしれなくても、他人を見つめることを諦めないことが重要なような、それも重たいけど。