虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

親戚から車を借りてたまに運転することがある。

車の運転というのは、つくづく社会的なものだと思う。まず道では整列し列を乱さないようにしないといけない。ぼーっとしていると前にぶつかってしまう。また、歩行者や信号、標識など様々な外界の情報にも気を配らないといけない。そうなると、必要なのは集中を維持する体力で、寝不足だと話にならないので夜はしっかり寝てないといけない。

どれも自分は終わっており、前も朝運転始めでにぼーっとしていたら赤信号を突っ切りそうになり、本当に肝を冷やす思いをした。

一度渋滞中に前の車をこづいたこともあって、その時は当然ながら事故扱いで警察も呼び、相手のドライバーにも謝罪した。事故が起きてしまった後の取り返しのつかない感覚は、今思い出してもぞっとする。

運転免許証が非常に便利な身分証であるのは、運転ができるということ自体、一つ社会的なラインをクリアしていることの証明なのだと思った。