虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

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かなり前に精神診断?(そこそこ子供だったのでよく分かってなかった)を受ける機会があってそこで言われたのは、ものを見るときに自分の思い込みで歪めてみる傾向が強いとのことだった。そんなことは今思うと大なり小なり誰でもあるような気がするが、とはいえそう言われると今自分が素直に捉えているつもりのものも実はと常に疑惑が入ってしまいそれなりに恐ろしく感じた。

今の現状もそういった歪みでできてしまったのか、様々な情報が頭に入ってくると、気分がいい時は都合よく扱えて楽しいけど気分が落ち込むと一気にそれらが認識を全てを否定する方向へ持っていき余計に気が滅入ってしまう。例えば僕は頭の中にひろゆきを飼っているのだが、気分の良い時は特に干渉することなく面白いおじさんとしている一方で、気分が落ち込んでくると途端に現状に色々とケチをつけてきて嫌な気分にさせてくる。流石に誇張があるとはいえ、こんな感じでひろゆき以外にも色々な人や本、常識みたいなものが入り込んで混沌としてくる。

最近読んだ本で岡田斗司夫の「僕たちの洗脳社会」というのがあって、今無料で公開されている(http://blog.livedoor.jp/okada_toshio/archives/51560970.html)。これはいわゆる未来予測本で、出版されたのが95年であり予測されているのはちょうど今なのだが、これが結構的を射ている。簡単に内容をいうと、インターネットの登場により誰もが情報の発信者になれるようになり、様々な意見や考え方に簡単に触れれるようになることで人々が価値観を選択するようになるというものだ。中でも面白いのが、こういった社会(現在社会といってもいいかも)の中心にあるのが「自分の気持ち」にある一方で、多くの人はその気持ちの基盤ともいえる価値観を他人などから選んでいるというところで、自分の気持ちが先か「洗脳」が先か分からなくなってしまう。そしてまさに今混乱しているのはこんな「洗脳社会」にいるからで、ネットや本、サブカルなどに絶えず触れていると色々な主義主張があったりして、大半は無視できるのだがとはいってもときどき引っかかるものもある。引っかかるものの内容がお互い全部整合性がとれていればいいものを、やはり噛み合ってなかったり、真っ向から矛盾していたりするものもある。そういったことは役立つことも多々あるけど、ダメな方に転がると自分が一気に否定されかれない。多分自分の世代だとそんな状況が中学生くらいから続いていて、何かに盲信できたり思考停止できたりしたら楽かもしれないけどそんなに甘くない。

でも実はそんなこと関係なくて単純に明日TOEFLを受けるのに今まで1ミリも勉強してないのが全ての原因かもしれない。