虚報太郎

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4/14~15 SOMPO・IDM・「差延」を読む

金曜、新宿のSOMPO美術館へ行くと、「ブルターニュの光と風」展が開かれていた。西洋美術館も今ブルターニュ特集をやっているので、知った時にはそんな被りがあるのかと混乱した。

展示内容は、ブルターニュにゆかりのある絵を中心に、まず19世紀ごろのアカデミックな風景画、次に印象派、そしてゴーギャンやボナールなどのポスト印象派など、フランスの絵画史を追う形で展示がされている。

ブルターニュは歴史上ケルト民族の文化が残り、またフランス革命時まで自治権を持っている、フランスの中では特殊な位置にいたそうだ。日本でいうところの北海道、沖縄のような立ち位置だろうか。そうした異文化、僻地の紹介として、ブルターニュを題材とした絵画(伝統衣装を身に纏った風俗画など)がパリのサロンで受容されてきた側面もあるらしい。

とはいえ、まずアカデミックな絵画では、海を題材にしたものがやたらに多かった。荒れ狂う波やゴツゴツとした海岸の岩肌が、当時流行りのロマン主義的にダイナミックに描かれている。あとは、牧歌的な農村の風景、ブルターニュの人々の絵。この辺りの主題はのちの画家たちにも引き継がれていた。この頃のアカデミックな絵は、中々退屈した。上手いものの、決定的なところがなく、無駄に情報量が多い。一方浮世絵や日本画などは、抜群に見せ方が上手く、ジャポニズムが起きたのも納得する。

次に印象派の代表、モネの絵があった。あまり記憶にないが良かった気がする。

そして、個人的にメインとなる、ゴーギャン、ボナールなどのポスト印象派コーナーだが、面白かった。ゴーギャンの絵は、素朴さに崇高さを秘めているところがいい。絵に限らず、名作には崇高さが宿るのか、そもそも美の鑑賞には畏怖がつきものなのか、定かではないが、個人的には崇高さは重要ポイントだ。また、ボナールの縦長の赤いドレスを着た女の絵は、良くも悪くも度肝を抜かれた。ボナールは、悪趣味スレスレをついてくるが、この絵に関してはどうだろう、ちょっと引いたけど。

最後にゴッホのひまわりが、特別にガラスで隔たれたところに、鎮座していた。その名声からの印象には反し、枯れたひまわりを描いていて少し良かった。

 

そして今日は、昼下がりに起きIDMディスクガイドに目を通した。WireのメンバーがやっているというDomeというユニットが紹介されていて聞いてみたが、結構面白い。ディスクガイドは、時代、ジャンルで整理され、量的にもまとまった情報があるので、ネットにない面白さがあると思う。

その後、やるべきタスクはあったもののは怠かったので、最近出た「ジャック・デリダ差延」を読む」を読んだ。デリダという哲学者に強い関心があった訳ではなかったが、丁寧な解説に従っていくうちに、「脱構築」というある種マジックワード的な響きの印象とは裏腹に、ヘーゲルハイデガーなどを読み込み、正面切っていってゆく、それゆえのわかりにくさ、危うさが面白かった。

冒頭の「読むことの欲望」「哲学そのものの欲望」といったことをデリダが問題にしつつも、それらを「破壊不可能な欲望」と形容していたという指摘、そして「読むことへの不滅な欲望」だけが必要という筆者のアジ文が、哲学に関して全くの門外漢で、単に「読むことの欲望」に従っている自分のことと繋げてくれたのも良かった。