虚報太郎

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旅疲れ 都市の不安について

なんとか無事に帰ってこれた。

行く直前に、プラハ市内の大学で銃乱射事件があったり、イスラエル情勢の悪化でテロの危険が高まり、実際に計画犯がいくつか捕まってる中で、結構不安だったが、何事もなく助かった。

実際、かなりの警戒体制が敷かれてる光景は幾度も見た。ウィーンでは何度か銃持った警官が見張っている姿を見たし、ドイツとチェコの国境では、これまた武装した警官が念入りにパスポートチェックをしてきたし、緊張感はあった。

プラハの銃撃事件は、イスラム過激派のテロではなく、大学院生によるいわゆる"スクールシューティング"らしい。犯行現場は、プラハ一番の観光地である、カレル橋のほど近くで、大量のキャンドルが置かれているのを実際に見た。

 

正直、武器が大量生産され、ばら撒かれている状況で、どうやっても都市でのテロ行為の可能性をゼロにすることは出来ないだろう。どうやっても、人は常に狂いうるし、もちろん、イスラム過激派のテロは、根深い社会構造上の問題や歴史背景があり、それをそういうものだと蔑ろにはできない。

ただ、都市というのは、見知らぬ大量の人と常に共にする空間で、その事態に普段無関心でいられても、少し凶行が起きると、無関心というベールが剥がれ、混沌が剥き出しになってしまう。そのベールがなければ、都市での生活は成立し得ない。大量の人が何を考えているのか、何者なのかは、知るよしがない。

無関心は、諦めやただ忘れることで獲得されるもので、安心感に根拠を求め始めたら、それこそキリがなく、見た目による迫害に繋がったり、監視社会になったりしてしまう。

日本が、諸国に比べて、比較的安全なのは、犯罪統計的に見れば言えるが、都市に生きることの不安は、統計的発生の高低には還元できない部分があると思う。それは、車よりも飛行機の方が、統計的に事故の確率が低いと言われていても、親しみのある車よりも飛行機の方が、やっぱり不安になる、というところで分かる。

身の安全を守るということと、不安の解消は、重なりつつも別次元だと思う。