虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

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ゲーム業界へ行ってワーカホリックになるルートを考えていたけど、その気がなくなってきた。理由はいくつかあって、一つ目はもう就活疲れたというのと、もう一つは制作規模の大規模化で分業化が激しく、個人的にはコンセプトからグラフィック、音楽など全部やりたいのでそれならとりあえず趣味でやった方がいいかとなったことだ。

結局仕事は、身銭を稼ぐものとして割り切ろうという方針になった。仕事というか経済は、求められること*1に対して提供するのが、原則で、他者依存になることは避けられない。それは、提供ということ自体がそうだし、その提供の評価も、相手に委ねられるという意味でもそうだろう。

そうした人との繋がりが喜びや充実になるのは、確かにある。そうした関係における他人は、基本はその要求と提供でもって結ばれている。それで直ちに疎外されるわけではなく、それを発端として人と人との関係がそこかしこで発生して、それらが重要になるということがある。ただ、要求を満たせなかった時は、関係が揺らぐ。

そんなところを、僕はリスクとして考える。リスクがあるから避けるというわけではないが、保険はかけておきたい。おそらく僕は、あまり精神的に強い方ではなく、リスクに過剰に反応してしまう。それで、何も手につかず、全てが上手くいかないということが多々あった。

少年マンガに情操教育されてきたので、ヒロイックな精神がどこまでも内面化され、リスクに立ち向かうこと、全生命をオールインすることこそが人生の究極的な在り方として刻み込まれていたが否めない。一方で、ひろゆき=ネット民の現実的に"賢く"生きるみたいなのもあるんだけど。それがあって、アートに振り切ることもできず、社会的に認められる方向に向けてやらないといけない、ということが楔のようになっている。

 

あんまり不安症に囚われてもしょうがないしやれることをやる。というわけで、一年無職したのちぬるくフルタイムで働く方向でいく。

 

*1:クリエイティブなどは、新しいものを提供するという意味で求められることをやるのではダメというレトリックもあるが、それも結局相手が提供されて喜ぶものであり、それは潜在的な要求ともいえるだろう。