虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

6/26

憂うつは、嫌なことがあった/これからあるときはもちろん、体調を崩したときなんかにもやってくる。あと、別に何もないときにも。原因があるときには、それに対処すれば去っていくことが殆どだけど、そうじゃなく、霧のように立ち込んで何も見えなくしてしまうこともあった。

そういったときは、満更でもなく、音楽なんか流しながら寝転んで、心中を蠢くものの心地を味わいつつ、気持ちよさを感じる。比較的軽めの場合は、普段は歯が立たないような難しい本を手に取ると、しがみつくように読むので集中できる。

もちろん、憂うつが全てを覆いつくして、にっちもさっちもいかなくなる不安はある。それでも、備わった健忘と言うべきか、はたまた二重思考と言うべきか、底の抜けた絶望を前にすると、途端に鈍感になってすぐに忘れることができる。死について考えたとき、終わりを意識して、ぞっと深い悪寒が走るけど、それは長続きせず、何も解決されていないのに(解決不可能なのに)、なぜか緊張感がとけ、逆に普段以上に気が緩んだりする。その悪寒の嫌な記憶があって、その蓋はなるべく閉じておく。