虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

6/27

面接のある日はいつも緊張して、仕方がない。どうしようもないので、とりあえず散歩に出かける。ひたすら歩いて、色々考えたり、気を紛らわせたりする。

何とか終わるが、その後も大変で、反省タイム。何か感触が良くなくて、何も手につかなくなってきたので、飲みに行くことに。

先輩が来てくれることになって、新宿に向かった。誕生日に親戚から貰った祝い金で本でも買おうかと思って、紀伊國屋書店に寄っていく。このとき、Unwoundきいててやたらとハイになって、何を考えていたか忘れたが人間として自立できそうな気分になって、そういうわけでサルトルの『文学とは何か』を買った。訳者の「小林秀雄は面白いけれど結局は文学的啖呵じゃないか、と私に思わせたのは、ほかでもない、『文学とは何か』だったのである。」という文言が決め手だった。

合流して、思い出横丁に辿り着く。外国人がとにかく多い。新宿やその他東京の街を歩いてどんな感想を抱くのか気になる。お節介なことに、ここに来て楽しいんだろうか、なんて思ったりする。

ちょうど良い気温だったので店前の路上に出た席に陣取ったが、想像以上に電車の音がうるさくてかなわんなあと少し後悔した。すぐに慣れた。

酒を飲んで、人といると、会話を交わすモードになり、その場の一部として自我が多少は溶けていく。逆にそのモードになれず、会話に乗れないままごりっとした自我だけ持て余した最悪な状態になることもある。

その場の一部としていることで、次の言葉が何となく出るわけだけど、一人になると、大抵その出ちゃった言葉を思い出して反省する。座談会をやって文字に起こしたときなんかは、目も当てられなかった。出した言葉を、自分のものとして認められない態度が問題なのかもしれない。

そんなこんなで、問題を有耶無耶にした。また、明日から研究進めたいし、本読みたい、ゲームしたい。動揺に動揺していたらキリがないからね。