虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

8/14

グリンバーグというアメリカの美術批評家の本を読んでる。20世紀のアメリカ美術においてかなり影響力があったらしい。一番有名なのは『アバンギャルドキッチュ』という論考だろう。アバンギャルド(前衛)とキッチュ(俗)を対比させて、当時の文化状況を描き、社会の構図まで見通していた。

でも個人的にその論考はあまり興味が惹かれず、「モダニズム」の話の方が面白い。モダニズムの根底にあるのは、「純粋性」で、これは芸術のための芸術といえる(芸術至上主義?)。そこで、「ミディウム」(メディア)の純粋性が突き詰められていく。つまり芸術には、絵画、詩、彫刻、音楽(今なら映画、マンガ、アニメ、ゲームも入りうるだろうか?)など、異なったメディアがありうるが、「そのミディウムの、最も本質的と考えられている性質にそぐわないどんな種類の経験にも依存しないように努めなければならなくなる」のが、モダニズムの芸術作品の原則だと指摘している。

分かりやすい例が絵画で、モダニズム前の西洋絵画は、2次元の面に、遠近法や陰影を駆使して存在しない奥行きを見せていた(「三次元のイリュージョン」)。これらは、絵画の本質的性質だと考えられるキャンバスの平面性に反する、だからモダニズムの絵画では遠近法や陰影への拘りが破棄され、平面的な、絵画としての絵画という方向の進化が起きた。

絵画という形式の歴史的考察を、それぞれの作品の表現から分析していくやり方が基調になっている。20世紀の美術の本を見ると、本当に目まぐるしい変化があったことが伺えるし、今でも現代美術館へ行くとよく分からずめまいがすることもある。

そんな、前衛、変化への混乱と同時に自分自身への混乱、好みって何か、そもそも自分って何かのような疑問に襲われる中で、他人がやっている批評の見どころは内容どうこうよりも、どのように議論を進めていくかにあると思う。そういった意味では、グリーンバーグの批評は、混乱に陥りきっていない、まだ'歴史'の足がかりがある時代のものだとは感じる。ただ、足がかりの場所を作品へと伸ばす手際は興味深い。