虚報太郎

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8/6 自意識?

なんでアニメとか映画見たり本読んだりしてるんだろうって疑問に思う。結構前から、誰かがその作品について語っていたから見る、またはもっといっちゃった場合は誰かがその作品について語っているのを見たいから見るというところまでいったりする。

いつからか、作品を見るということがエネルギーを必要とする重労働であると感じるようになり、かつてのニコニコ動画のゲーム実況や今のYouTuber、またはサブカル論者の話など、直接的に人が話しているのを見る方が楽だということに無意識に気づき流れていった。

作品としてパッケージされたものがなぜエネルギーを必要とする、ハードルがあると感じるのかというのも気になるところだが今は置いておいて、そんな中で作品を見る理由というのにまず短絡的に答えを与えるとすると、作品というものに優越性みたいなものを感じている、またそれを広く見る自分に他の人と違うアイデンティティ(オタク的な)を持たせたいというところがある、という風になる。この答えは部分的には的を得ていると思うし、そもそもこうやって自問自答する原因、つまりそこでアイデンティティを獲得していこうとすると、本当にその作品、ジャンル自体を愛しているかというある意味信仰心のようなものを自分に問うことになるが、そこでそもそもの"アイデンティティを獲得しようとしている"不純な自意識が立ちはだかる。ここで、まずはこの自意識を排除しようとするが、そこで排除しようと躍起になればなるほどその自意識はさらに強固なものとして現れる。なぜなら、その排除しようと潔癖になる根源自体が排除する対象だから。

また、アイデンティティを獲得しようとする自意識というのも、真に自分個人で完結するものというよりは、結局他人との関係の中でのものなんだろうなという気がしている。

こう何でも自意識問題にするのはどうかと思うが、思考の癖みたいになっているししょうがないのかな。いろいろ言ってみても、面倒くさがりなのである程度問うたら満足して、結局テキトーにアニメ見たり映画見たり、サブカルの人の話を聞いたりするんだけど。