虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

11/9

朝起きると、顎が痛い。多分歯軋りがひどいのだろう。舌で歯の上部を確認すると、不気味に凹んでいる。歯というのは元々そういう仕様なのかもしれないが、やはりギシギシとすり減らしちゃったのかなという妄想はやめられない。

寝る時に歯軋りしてるかなんて、何で分かるんだと疑問に思う人がいるかもしれない。答えは単純で、起きてる時もしているから。いや、ギシギシと音を鳴らして擦っているわけではないが、ふとした瞬間に歯を歯で噛み破りそうな力が込められていたりする。

息吸ってるだけでストレスを感じる神経質ボーイでこれまでやってきたが、他の人はどうなんだろうか。別に他の人が、次の飯のことしか考えていないのんきさんだろうが、いつも死にたい暗いやつだろうが、別に関係ないけど、ふと気になった。

この"気になり"が、人との関わりに常に置かれている、この思考のフレームを示すものなのか。

ともかく、嫌なことが多い。折角人がいい気分でいるのに、長続きしない。

昨日もセブンが発泡酒を出しているのを見かけ、何となく買って飲んでみたらそこそこいい気分になってYouTubeとか見ちゃったり、そしてひと月ぶりくらいに友人の友人のdiscordグループに顔を出してみたりして。

一人でいる時間が長いと、グループでいるときの心の受け身の取り方を忘れるのか、学校とか行ってた時(今も一応学生だけど)はどうしていたんだろう。

集団は本当に気疲れする。情報量が多い。繰り返しになるけど、以前はうまくやれていた気がするし、別にそうでもなかった気がする。我を無くさないといけない、それか話をあんまり聞かないか。僕はどちらとも煮え切らない態度をとるので、それが良くない気がする。

やはり、安定するには"決断"しないといけないのか?”決断”するのは嫌いだから、なるべく逃げている。いつも自分の意思ではなく、状況に制約してもらうことで行く先を決めている、というと綺麗にまとまりそうだが、別にそうでもないか。

とにかく、人と関わりたい一方ですごく関わりたくない。いつも不用意に傷ついてばかりだけど、癒しはそこにしかないような気がする。別に他に癒しがあるならそれでいいんだけど。そう思うと、非実在かもしれないが前向きな人が少し羨ましい。前向きというのは、「そうする"しか"ない」ではなく、「そうしたい」で動ける人、というので考えてみた。矛盾がない、つまり葛藤もない。

何か矛盾を内包している方が、美しいと思う一方で、自分がそうあってもなあという気がしてならない。でも今矛盾に苦しめられているから恨めしくなっているだけ、とも思える。

ふわふわと行き場のないまま頭を捻らせ、次から次へと言葉を思い浮かべては捨てていく。言葉とそれにつられる感情を消費した。そんなんだから、いつまでも堂々巡りなんだって怒鳴りたくもなるし、でも真面目にやる気なんて起きないのもそうなんだと思う。

建設的になりたい→でもそれもダサい気がしてきた→もうダメだ

徹底しないと突き破れない。でも長続きしないのは、馬鹿正直に徹底しようとして、諦めてしまうから。実際それは踏むべきプロセスなんだと思う。

弱くたっていいじゃないかと開き直りたいところだが、そう宣言する元気もなく、ただただ時間ばかりが過ぎて、わけがわからない。