本音でぶつかり合おうぜって言いそうな人(学ランを来ていてガタイが良さそうで、ガッハッハと笑う想像してる存在しない人間を想像してる)って自分がそれで絶対に侵されない、いやそんなこと想像だにもしてなさそうだなと思う。
ぶつかり合ったらガタイのいいやつはそのままだろうけど、こっちは破壊されるかよくてそいつに舎弟行き(服従)。
とはいえ、服従、忠信、隷属するのが好きという人もそれなりにいそうな気がするけど。
そういう僕も、Big Sisterに服従して毎日管理してもらえたら普通に嬉しいかもと思ってしまう。
ただ"良心"のある人間には絶対に服従したくない。改心させられるか、包括されてしまう。僕もその"多様性"の中のチリ一つとして組み込まれる。だったら孤立したほうがいいというのは自意識デカすぎだけど、そうなってしまったからには仕方ない。
僕もそういう組み込む側の人間にならないようにしたいが、あちこちに罠がある。
まあそう心配しなくて案外人間は組み込みから守るのは上手くやってる気がして、相手の話を聞かなかったり、建前でガードしたり。
これは人間の尊厳みたいな話になるのかな。生活が苦しくても生活保護に頼らないとか。これでそんなのに拘っているのは下らないみたいな、ひろゆきみたいなことを言う人がいるかもしれない。しかし、それも実はその"一般的っぽい尊厳"を否定して、それをバカだと見下すことで"尊厳"を保っている。つまりその言葉とは裏腹に全くその尊厳という構造の本質から抜けれていないという皮肉な結果に陥っている。
まあだからそんなにこの尊厳というものからは抜けられない。
では、ここで"組み込む"とはどういうことか。それは相手の"尊厳"を破壊し、そして自分かもしかしたら自分も組み込まれているもっと大きな何かで、相手を再構築することと言えるのではないか。
つながりとはある種そういう暴力的なものなのかもしれない。