虚報太郎

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自己分析ばかりしてるとダメになる。自分に結論を出してしまう。

かくいう僕も、中学生あたりから自分のことを考えるのが癖になりここまで来ているが、そうしていい方向にことが進んだ気はしない。ほどほどにやる分にはむしろ必要で、全く自己が客観的に見えてない人、例えばジャイアンみたいなやつでは色々と社会で困る。

ただ、自己分析中毒になるとどうなるか。四六時中自分のことばかり考えてしまう。それで自分のことを完璧に理解して、最善手が打てればそれでもいいだろう。でもそうもいかない。それだけ考えているのに、たいして当たらない、もしくは分からないのだ。でも、時間をかけてしまうと、どうしてもそれを信じたくなってしまう、時間をドブに捨てたという事実はあまりにも痛い。いやそこまでは思わなくて、単に信じているだけのこともあるが。ともかく、不意に終わる。

そうしてあるとき、しょうもないことをしていたと気づいてすごい落ち込む。

 

また、そもそも根本的な問題として、世の中は混沌としている。もっと生活に近づけた言い方をすれば、朝起きてその日何が起きるかは、案外分からないものだ。ばったり知り合いに会って飲みに行ったり、トラブって夜中まで作業したり、等々。それのスケールを一週間、一ヶ月、一年、一生と上げていけばより訳が分からなくなる。もちろん、毎日予想外なわけではない。淡々とやっていく必要もある。でも、未知は常にある。

そんなところで、自己を御して目的ドリブンでやっていくこと自体にそもそも限界がある。まず、自分側で達成するのも困難だけど。

というわけで、自己分析をやめようと、空いた時間を作らない、くだらない動画を見たり、ゲームしたり、本を読んだり、寝たり、掃除をしたりして埋めている。それでも、今みたいにやらないといけないことの前で立ち止まったりすると、途端に始まる。この文はまさに敗北の文章だ。

自己分析というと聞こえがいいが、内実はもっと感情的でドロドロしている。

書いていたらより一層気分が悪くなってきた。