虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

11/30

気が重い。

研究が進んでないから?就活が嫌だから?ただただ寝不足?その他諸々?

理由は色々思い当たるし、どれもまあ間違っていないと頭で理解しているつもり。

ただ、結果である感情には、どうやっても肉薄できない気がしてしまう。本当にそういうものなのか、そう思いたいのかはよく分からないけど。

心に無限を飼っているみたいでかっこいいね。

生きる理由なんて青臭いことを言うのは恥ずかしいが、あえて言うなら意地と諦めだと思う。自死にロマンを感じる考えが世の中にはあるそうだが、どうにも好きじゃない。若いうちに、かっこいいまま死んでも何も面白くない。中だるみの中年、執念深く生きる老人を経ていくところが見たいし、自分も想像すると辛そうで嫌になるけどしぶとく老害になってもしがみつきたい。それでいうとニール・ヤングとか未だにアルバム出したり、Spotifyと喧嘩したりして、元気でいいなあと思う。

どうでもいいことばかりやっていて、本読むとかゲームやる/作るとかに全然手が回っていないが、結局迂回して避けているだけ気もする。実際やってみたら、その他のどうでもいいことをやっているときと同じような気持ちになる、とか。迂回し続ける人生も悪くない、美味しそうなものは最後まで残しておくのも戦略だろう。たとえ、食べる頃には腐ってしまっていても。

こういうジメジメしたキモい文章はもうしばらく書かないと、図書館に来るまでは思っていたのに、結局全てをほっぽり出して、臆面もなく?書いてしまった。こういった時間が僕の唯一の余裕であって、遊びであるともいえる。そういって結局”必要”に回収してしまうのは悪い癖だな。