虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

10/19

こうして人に見られうる文章を書くとき、何か内容を入れないという気になる。確かに人に見てもらうなら、人が読んだときに面白いなと思うような文章でないと読んでもらえないだろう。でもそう思うとなかなか手が進まない。

そもそも「内容」って何か?単に情報ということ?情報とは何?人が知らないこと?

それなら、自分のことを書いておけばとりあえず人の知らないことは言えそう。

しかし、ネットにはそれを封じる「自分語り乙」という言葉がある。人は一般ピープルであるお前のことなんて興味ねえよという話だ。

そうなると、自分の範囲で語れることだと、趣味のこととか自分の専門分野(仕事や学問)の話になるか。それこそどの話も一般ピープルであるところの自分よりも語れる人がいるし、別に語りたいこともそんなにない。

じゃあ何を書きたいのか。そう言われると言葉に窮する。じゃあ書きたくないのかというと、そうだったらこんなブログなんて旧時代の遺物に手を出してないだろう。

結局、「書きたい」ということが先行している。人に「伝えたい」。目的語があるわけでなくただその動作自体に力点がある。

案外そういったことはありふれているのではないか。人と話題を合わせるためにアニメやドラマを見る。出会いを求めて、酒に興味がなくても酒場に向かう。

それなら人と関わりたいという話になるのか。人と話すのは怖いし、面倒くさい。いざ面と向かっても言葉は出てこない。それでも接点を見出したい表れなのかな。