虚報太郎

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3/17 「炉心融解」についての雑感

これから毎日ブログを書こうと思う。でも毎日頑張って内容を考えるのは無理なので基本はしょうもない自分語りを垂れ流すことになる。

今日は久々に「炉心融解」を聞いた。この作品は2008年12月投稿*1のいわゆるボカロ曲で、今だともう'古典'的な扱いだと思う。聞いたきっかけは単に歌詞の一部の「オイル切れのライター」という言葉が頭にふと浮かんだからという他愛のないものだったけど、聞き直したら結構面白いなと思った。まずさっきの部分も含めて、ところどころの歌のぎこちなさと歌詞自体のぎこちなさが興味深い。前者は技術的な問題があるのでしょうがないし、後者もアマチュア制作なのでそんなものかといった感じだが、別にそれらが悪いというわけでなく、むしろそのぎこちなさが変に嚙み合っているのがおもしろポイントだと思った。ここで歌詞の内容を暴力的なまでにざっくり説明すると、メンヘラらしき"歌詞の主語"が死にたいって言っている、といった感じだ。具体的なフレーズを一部見ると、「町明かり華やか エーテル麻酔の冷たさ」、「君の首を絞める夢を見た 光の溢れる昼下がり」など前後のつながりというより映像的や語感のかっこよさを重視しており、同時期かちょっと前の邦ロックであるART-SCHOOL凛として時雨を彷彿とさせる。これらのある意味典型的な'病み'曲的フレーズは歌詞全体でというよりもやはりそのフレーズ単位ごとに力をもって聞こえてきて、そこにボーカロイド特有の無機質で節ごとにブツブツ途切れてしまう歌により、痛い自意識とそれに対する客観性の不思議なバランスが生じている気がする。

ちなみに「オイル切れのライター」の歌部分は特にぎこちなくて、切れ目をつけるなら「オイル/切(っ)れの/ライター(あ↑)」といったふうになると思うが、この「切れ」の間の「っ」で歌が一瞬途切れてしまっていてその部分も含めていいなと思った。

こう思うと何だかんだボーカロイドで歌わせる意味はあるのかなという気になる。

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またこれ以降の作品、特にこの歌詞路線のカゲロウデイズやNeru作品についてもいつかは関連付けて妄想を膨らましたいなと思う。

*1:ニコニコの「炉心融解」は2009年投稿となっているが、これはとある事情で再投稿されたものだからである。事情が気になる人はニコニコ大百科を見よう。

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