虚報太郎

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4/24 アロエヨーグルト

アロエヨーグルトを飲んだ。アロエヨーグルトにはなぜか、ぷるぷるしたアロエがついてくる。僕個人としてはあってもなくてもどっちでもいいのだが、これによりそこそこ満足を感じる人が世の中にいるということだろうか。それともノリでいれてるのだろうか。だがこれはセブンイレブンで買ったもので、お弁当の底を凸にして少ない量で見た目のかさ増しをするような企業なのに、意味もなくこのプルプルを入れているはずがない。おそらくプルプルを入れると、それに見合うだけの求心力があるはすなのだ。以前テレビで、お菓子メーカーの味の開発部が大人数でポテチを食べて真剣に話し合っている様子を見た記憶がある。おそらく、このアロエヨーグルトも、そうやって大人数で飲まれて、このプルプルについても侃侃諤諤の議論がなされてたことだろう。きっとこのプルプルの何ともいない食感もA42、3枚くらいの分量の文字での説明が存在するくらいには、計算されているに違いない。恐ろしい。少なくない数の人がアロエのプルプルを求めているということも驚きだが、それ以上にプルプルさえも意味があるのが怖い。身の回りの既製品は、どれも大体大の大人がそれなりの時間をかけてアイデアを練って作られている。あれもこれも、人間がいっぱい。意味に溢れかえっている。

いや、でも何度考えてもプルプルがあるからとアロエヨーグルトを買う人がいるなんて思えない。プルプルがないからとアロエヨーグルトを買うのをやめる人がいるのか?タピオカにタピオカが入っている理由はわかるが、アロエヨーグルトにナタデココみたいなプルプルしたものが申し訳程度に入っている理由はあるのか?本当に大の大人が考え抜いた結果がそこなのか?

まず、人体を考えてみるとかなり複雑でよくできたシステムだが、お尻にはまだ尾てい骨という全くいらないものが残っている。

人体とアロエヨーグルトを比較するのはナンセンスかもしれないが、人体の尾てい骨とアロエヨーグルトのプルプルは同じくらいの存在感に思えなくはない。

プルプルは意味でガチガチのレディメイドなものにある数少ない無意味なのかもしれない。そんな願望を抱きつつも、プルプルすら意味があったらそれはそれで面白いから知りたいと思った。