虚報太郎

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3/31 HELL-SEE

リリース20周年記念HELL-SEEライブの抽選にまた落選し意気消沈中ですが、せっかくなので軽くヘルシーについて語ります。

まず、僕はsyrup16gというバンドを知ったのは『生活』という曲を某動画サイトで聞いたからで、そこからアルバムを聞いてみようと思い近所のTSUTAYAへ行ったところ、『生活』が収録されている1stアルバム『Copy』がなく、代わりに『coup d'Etat』と『HELL-SEE』を借りた、というのが出会いです。

『coup d'Etat』にも色々思うところがあるのですが、『HELL-SEE』は、やはり自分にとっては特別なアルバムで、これが僕にとって音楽の、ギターロックの価値を成り立たせている基盤であり、ロックを聴くようになったきっかけなので、なかなか評価をするのが難しい。

価値判断、もとい判断というのが相対的なものであり、原点である原体験を判断するのは困難なのだ。

そんなことを言ってもしょうがないので、何とか後付けで試みると、まず曲が良かった。syrup16gの曲は、コード進行そしてそこに載る歌を主体にして作られている。それは、曲との構成を考えても、またフロントマン五十嵐のインタビューを聞いても伺える。

コードはカポを使ったりして、少し工夫しているにしろ、曲の構成自体はごくシンプルかつワンパターンで、だいたいの曲がAメロ、サビ(Bメロ)、これをもう一度繰り返したりして間奏(ギターソロ)に入り、Cメロをやってサビで終了、と言った感じである。

ある程度形式的な中で、聞かせるリフ、アルペジオを鳴らし、個性的な歌声が入る。そう思うと非常にキャッチーだと思う。そんなキャッチーさと裏腹に世間のJPOPとはやはりズレた雰囲気に、やはり惹かれてしまったんだろうか。

あと、やはりこれも語り尽くされているが、歌詞やライブでのどうしようもないパフォーマンスによるフロントマン五十嵐のキャラクター性がある。ライブ中に黄色い声で応援されてしまうようなところもありつつ(最近のライブでは、もうそんな感じだが)、それでも鬼気迫る、緊張感はある。ただ暗く、人を食ったような歌詞を書くかと思えば、「君の存在価値はなんだ」と問うてきたり。

油断してるうちに取り込まれてしまう。

だから、変に鬱バンドと呼称されているのは違和感がある。鬱バンドというには、変なユーモアに溢れており、また一方で真剣にこちらを見据えている。

いや、そんなことはどうでも良くなるほど、歌や演奏に気持ちよくなってしまうこともある。

現に、聞き始めてしばらくの間、僕は歌詞の意味を全く解してなく、ただそのギターの音、歌声、バンドアンサンブルに心地よくなっていた。それまで歌の伴奏にすぎなかった、楽器の音の良さを明確に感じ取れるようになったのは、syrup16gを聴いてからだった。そういった意味で原体験なのだ。

後付けで、シューゲイザーらしさ、The Policeの影響などを言うことは出来ても、結局本当に肝心なことはどうにも言葉に尽くせない。