虚報太郎

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モダニズムのハード・コア メモ1

批評空間のモダニズムのハード・コアを読み始めて、なかなか面白いなあと思った。

冒頭では本書の方向性を明示するような座談会をやっていて、「モダニズム再考」というタイトル通り。モダニズムに関する理論的な整理や刊行当時における現在のアートや建築について。前者は、勉強になるなという感想で、後者については、特にポリティカルコレクトネス(PC)の現状にも触れていて、今も変わっていないか、酷くなっているなと実感を伴って読めた。ようは、絵画や彫刻、建築自体の価値というのを認めづらくなり、例えば受け手を巻き込み、社会への参加を促すものだったり、建築なら誰々にとって役にたつや環境に優しいなどだったり、外在的にしか、評価をしようがなくなってきた状況で、PCのようなものになびかざるを得なくなっている、という話だと受け取った。

もの自体の美ではなく、こちらに"参加"を促すアートは、現代美術ではよく見る。それが全て悪いとは言えないとはいえ、私という主体を常に必要としこちらに迫りかかってくるような感覚のするものが結構多くて、それには辟易とする。

この本に掲載されていた、論考『芸術と客体性』は、そういったアートが芽生えてきたころの70年代アメリカのもので、その走りともいえるミニマル・アートをリテラリズムと呼んで、批評していた。

 

そういった具合に、現在はモダニズム以降、つまりポストモダニズムにあって、その中で芸術がいかに受容されうるか、価値を考えれるかというのを原理的に考えるにはうってつけそうなので、もうちょっと読みたい。