虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

ラディカルミュゼオロジー めも

getsuyosha.jp

『ラディカルミュゼオロジー』という、現代美術館への批判をするような本を読んだ。現代の美術館は、コンテンポラリーをただ今流行っているものとして、マーケットで受けているものの追従をするか、または大規模な有名画家の展覧会という、ある意味で陳腐な反復にだしているのではないか。そこでコンテンポラリーをただ現在のものと限定するのではなく、歴史性や過去とまた立ち会う場として考える、そして美術館をより有意義な場所にできるという可能性を、3つの美術館を取り上げることで、提示していた。

 

ここからは完全に私感となる。

自分がこのような問題意識を共有できているかと言えば微妙で、むしろ巨匠の大規模展を待ち望み、美術館には現実を忘れる場として訪れている。

それでも美術館が、街に良くも悪くも溶け込めているかは微妙なんじゃないか、ここに行くことはすごく不自然なことなんじゃないかと感じることはある。

あと、場として、何らかの価値をもちうるということの意味をあまり分かっていない、つまり今自分にとってまた広く社会にとってどのような場所が必要なのかというのが検討もつかない。