虚報太郎

書きます。Twitter→@iamsomepen

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この一ヶ月ほど(確認すると今回で25日目)、毎日ブログやっていて思うが、"毎日"というペースは僕の感覚的に合っているっぽい。毎日30分程度、500〜1000文字を目標に、文章を書くのはちょうどいい負荷だ。毎日なので張り切りすぎてはいけないのもいい。緊張が最も筆を止める。

毎日となると、ネタを選り好みする余裕もなく、欲望に忠実な文章ばかりが出るようになってきたと感じる。今まで美術や本などの趣味の話は、その"教養的"性格からどうにもネットでやりづらく、あまり出さないようにしていた。後ろ指さされそうで怖かった。

継続することで文章を書くのに慣れていき、負荷が減っていくのを感じる。そうなると、より凝った内容だったり、まとまったものを描く余裕が生まれる。このようにして、段階的に内容を充実させていくのは、非常に自然な過程で、無理がない。かなり昔に「ブログを書くのはめんどくさい」みたいな嘆きの投稿をしたが、それは、慣れないうちから無理に内容を充実させようと図ったことが一つ原因だったかと思う。

これは当たり前の話で、バーベル上げでガリガリの人間がいきなり100kg上げようとしても無理なのと同じようなことだと思うけど、筋トレの場合は明快で、筋肉の増加は目に見えて現れるし、先の例で言えばバーベルが上がるか上がらないかで結果が測られるが、文章を書く能力となるとそうは行かない。だから、前述したような能力と実現しようとすることの乖離が起きてしまったと思う。少しではあるが続けることで、文章を書くことにも能力があると考えられ、それはやっていくと鍛えられることが何となく実感できた。

また筋トレと一口に言ってもバーベル上げ含め色々なメニューがあり、鍛えられる部位が異なるように、文章にも法律や契約書といったお堅いもの、小説、エッセイなどの娯楽的なもの、または論文や報告書といった機能的なものなどがあり、それぞれに必要な能力があることが想像できる。

この日記のような、怪文書のような、とりとめのないブログを続けていることで、何が鍛えられているのかは謎が残るところだが、続けていく喜びを知ってしまったので、しばらくやっていこうかと思う。